中でも代表的で一番巨大なものは経済至上主義的な競争社会で、ここには新自由主義的な社会思想がだいぶ長いことこびり付いていて、
競争を促して私達の生活を物質的に豊かにしたり、その代償にたくさんの苦しみや不調和を生み出して人の心を荒廃させたりしていますが、なかなかそこを抜け出ようとしません。
競争を促して私達の生活を物質的に豊かにしたり、その代償にたくさんの苦しみや不調和を生み出して人の心を荒廃させたりしていますが、なかなかそこを抜け出ようとしません。
そこには「これが世の中の理なんだ」的な正当化が働いていて、既存の社会システムに密接して強く作用しているからだと思います。
しょうがない、当たり前、そういうもの、それしかない、それが世の中、合理的だといった類の思考で、発展、成長、豊かさ(経済的な)、成功、勝利、生産性、効率…といったような所に強く執着していますが、その源には人の欲望があり、際限無く肥大化した欲望があります。
欲望を持っているのは生き物として自然な事でそれが生きる力になるのですが、人間には動物と違って欲望をコントロールする理性があり、その機能を司る進化した脳の器官もあります。
しかし今日その理性でさえ、欲望を都合良く正当化する為に用いられ、様々な策謀や心理戦が日々行われていると感じます。
そこは一つの底なし沼のようなもので深くハマり込むとなかなか抜け出せず、悪い方に行くと人への信頼を失い、利己主義的で疑心暗鬼な世界に身を置く事になります。
「心にも無いことよく言うわ」「で、本当の狙いは?」「うまいことやるな」「どっちが得策か…」「やられる前に先手を打たねば」「今のうちに恩を売っておこう」「ふん、負け犬が」「偽善者め」「何も知らないで馬鹿な奴」「現実を見ろ」「勝者が決めるんだよ」「男はカオじゃないの、カネよ」
的な世界で、こういう世界観が拡大してその世界が全てみたいな世界観の中にハメられてしまう事も多いと思いますし、基本的にそういう地獄にいるという思いに絶望してしまう人もいると思います。
こういう世界には確かにこういう世界の理があるのですが、それが世界の全てではないし、それを越えていく事が可能だという認識が広まってくれればいいと思います。
ではどうやってたらその世界を越えていけるのかというところですが、
一言で言えば「経験した上で次に行く」といったようなプロセスが自然かと思います。
人間の欲望を否定したり、煩悩を捨てなさい的な事ではありません。
ただし、低い欲望に囚われたままで問題のある負の連鎖を繋いでいく事には反対です。
食欲、性欲、支配欲等が強すぎて獣のように強くてずる賢い男が多くの愛人と家来を従え侵略を広げて搾取し贅の限りを尽くす的な世界にはうんざりですし、まだ基本的にその延長線上の支配系世界が残ってると思うので、もうそういうのはいいでしょと。飽きたでしょと。
次行こうよと。
次とは、「高次の欲求」を自然と持っている人が多い状態の事です。
これは心理学を勉強した人ならほとんど知っているであろう心理学者アブラハム・マズロー(1908-1970)によって提唱され、「産業を変えた」と言われるほど世界に大きな影響を与えた学説です。
これによって、人間の欲求はレベルアップするということの認識が分かりやすく世界中に広まりました。
欲求段階説のモデルはこのようなピラミッド状の図式で表現されています。
まぁこれが全て正しいというわけではないのですが、この構造は確かにあります。
下位の欲求が満たされているとそこにだけ固執しなくなり、上位の欲求を抱くようになるというものです。
欲求段階説のモデルはこのようなピラミッド状の図式で表現されています。
まぁこれが全て正しいというわけではないのですが、この構造は確かにあります。
下位の欲求が満たされているとそこにだけ固執しなくなり、上位の欲求を抱くようになるというものです。
言い方を変えれば、下位の欲求が満たされていないと、上位の欲求は自然発生的には抱きにくいということでもあります。
上位の欲求に至ったからといって下位の欲求が無くなる訳ではありませんが、そこが満たされていればそこに執拗に捉われなくなるといった見解です。
広く知られているのは5つめの自己実現の欲求を頂点とする5段階欲求のモデルですが、
広く知られているのは5つめの自己実現の欲求を頂点とする5段階欲求のモデルですが、
晩年になってマズローは6つめの段階「自己超越の欲求」に気付き、付け加えています。
この「自己超越」という段階は一般的にあまり馴染みが無く、新しい段階だと思います。
この段階に至った自己超越者の特徴をマズローは次のように挙げていたらしいです。
この段階に至った自己超越者の特徴をマズローは次のように挙げていたらしいです。
- 「在ること」(Being)の世界について、よく知っている
- 「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている
- 統合された意識を持つ
- 落ち着いていて、瞑想的な認知をする
- 深い洞察を得た経験が、今までにある
- 他者の不幸に罪悪感を抱く
- 創造的である
- 謙虚である
- 聡明である
- 多視点的な思考ができる
- 外見は普通である(very normal on the outside)
(この段階に興味がある人はマズローのこの考えをベースに発展したトランスパーソナル心理学の本や、それを経て統合理論を構築中のケン・ウィルバーの著作などがお勧めです。)
まぁここまでいかなくとも5段階目の自己実現欲求の段階に至り、自己実現者になる人が増えればかなり世界は変わると思います。マズローの挙げる自己実現者の特徴は以下のようなものらしいです。
まぁこれに当てはまらなければ自己実現者ではないとは思いませんが、よく観察していると思います。
これはおそらく自己超越者にさしかかっているくらいのレベルだと思いますが、この辺のレベルからあまり一般的に馴染みが無く、精神的で宗教的ですらある領域にかかってくるので、胡散臭く思われて慎重になるところだと思います。
こういうポイントがあまり実感の無い次の段階に至る前のストッパーとして機能していると思いますが、
このストッパーを外すのには、「とりあえず実感してみる」ということが重要だと思います。
それには自己実現している人と接したり、自分自身が自己実現する段階に至るという事が必要かと思います。
自己実現する人がどんどん増えていって欲しいですが、まぁそう簡単な事ではないと思います。
自己実現するとは、思考の領域で高い理想を持つということではなく、体現する事でもあります。
単に理性だけで精神的な欲求(理想)が上がっていっても、現実の自分と一致していなければそこにはフラストレーションがあり、感覚と理性が一致せず、ちょっと無理のある状態になってしまいます。
理想は高いが無理のある状態だと、例えば他者の為を思ってやっているようで、本当は自分の為にやっている行動になってしまったり。
欲求の方がまだそこまで追いついていないから仕方ないですが、
高いプライドがあると、それでも「〇〇のためにやった」「自分はそんな卑しい感情など持ってない」と自分に言い聞かせたり、
理想は理想で
理想は理想で
本心は違っていてもそのように装って行動する事が重要なのだと言い聞かせたりすることもよくあると思います。
冒頭で述べた、理性の領域で起こる自己正当化とはこういう時に起きることだと思います。
自己実現欲求が思考の領域では理想としては存在しているけれど、自分自身を変えられない、変えられると信じられない、自分はこういう人間だから仕方ない、結局みんなそうだ、無理だ、という思いが心の中を占めているとしたら、ストッパーがかかっているような状態かもしれません。
冒頭で述べた、理性の領域で起こる自己正当化とはこういう時に起きることだと思います。
自己実現欲求が思考の領域では理想としては存在しているけれど、自分自身を変えられない、変えられると信じられない、自分はこういう人間だから仕方ない、結局みんなそうだ、無理だ、という思いが心の中を占めているとしたら、ストッパーがかかっているような状態かもしれません。
しかしそれは高い理想を抱いているからこそで、そのこと自体は素晴らしい事だと思います。
自己正当化や開き直りが本当の自己実現を妨げてしまうのは勿体ない事だと思います。
プライドの高い人がハマりがちな袋小路の一つかと思います。
こうした状態を脱するのに効果的だと思うのは、自分自身と真摯に向き合う事だと思います。
そのままの自分をまず肯定するでも否定するでもなく観察して再発見し、認め、
自分の抱いている素直な欲求を自身の努力によって満たし、そのことでその執着からも離れ、自身を成長させていく事だと思います。
自己正当化や開き直りが本当の自己実現を妨げてしまうのは勿体ない事だと思います。
プライドの高い人がハマりがちな袋小路の一つかと思います。
こうした状態を脱するのに効果的だと思うのは、自分自身と真摯に向き合う事だと思います。
そのままの自分をまず肯定するでも否定するでもなく観察して再発見し、認め、
自分の抱いている素直な欲求を自身の努力によって満たし、そのことでその執着からも離れ、自身を成長させていく事だと思います。
「どうしようもない自分を認め、越える」といった自己成長のプロセスであり、
「理想の自分に近付く」という自己一致のプロセスです。
このようなことが繰り返され、自分を高めて自己実現していき、
結果的に精神的な成長となり、高次の欲求を自然に持てるようになるというわけです。
結果的に精神的な成長となり、高次の欲求を自然に持てるようになるというわけです。
また、瞑想などのアプローチにおける意識の拡大ないし気付きの深まり、現在への集中なども、自分と世界を再発見するのに有効な手段として用いられ、近年ビジネス界でも注目されています。
そうしたことを通しての深い体験で、自己超越した状態、自己超越した欲求といったものを理解できるようになる人も増えているようです。瞑想はお勧めです。
しかし突然神秘体験レベルの経験をしてしまっての飛び級的な認識は、現在の自分との差があればあるほど大変かとも思うので、地道に小さな自己成長、自己実現を重ねていく方がお勧めしやすいです。
自分は小さい頃色々経験してしまったので大変でしたし、多分今でも大変です(笑)
しかし突然神秘体験レベルの経験をしてしまっての飛び級的な認識は、現在の自分との差があればあるほど大変かとも思うので、地道に小さな自己成長、自己実現を重ねていく方がお勧めしやすいです。
自分は小さい頃色々経験してしまったので大変でしたし、多分今でも大変です(笑)
この辺でまとめますが、欲望を越えていくとは、次の欲望へのシフトであるというのが一つあると思います。
人間である限り欲望無くして生きていく事は困難ですが、
皆が気持ちよく生きられるためにどんどん自己実現して欲望のレベルを次の段階にシフトさせていっていくといいんじゃないかと思います。
結果的にその方が自分も助かると思います。
社会をもっと素晴らしいものしていく為に自分の能力を存分に発揮していく人が多い社会。
仕方なくやっているわけではなく、自発的に好んでやっているという状態。いいですよね。
もっと言ってしまうならば、人間の世界における欲望を越えていくという事は、元々の存在である愛に戻っていくという事とも言えるかと思います。最後だと思っていたけど、実は最初だった的な∞
社会をもっと素晴らしいものしていく為に自分の能力を存分に発揮していく人が多い社会。
仕方なくやっているわけではなく、自発的に好んでやっているという状態。いいですよね。
もっと言ってしまうならば、人間の世界における欲望を越えていくという事は、元々の存在である愛に戻っていくという事とも言えるかと思います。最後だと思っていたけど、実は最初だった的な∞
求める心は尽きませんが、求める心もまたその対象を変えていきます。
変わらないものもありますが、時代は変わり、どんどん新しい段階が出てくると思います。
今後あと数十年のうちに私たちの持つ欲求もまた激変していくと思います。
スーパー量子コンピューターと繋がった人工知能(A.I)が私たちの生活を完璧に管理し、どうしたら間違いないかはおろか、明日起こることの未来予報まで教えてくれて、臓器を交換していつまでも若々しく生き長らえることの出来る時代に、以前から言われているように「自分」とは何か、「自分は何がしたいのか」といった事がより一層重要になってくると思います。
その時私たちは一体何がしたくなっているのでしょうか?
未来の欲求が気になります。