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2011年8月29日月曜日

夏の記録⑤ 中之条ビエンナーレ2011

日帰りで中之条ビエンナーレに行ってきました。
















群馬県は吾妻郡の中之条町を中心として広範囲にアート作品が点在しており、
車で移動していたもののとても一日で回りきれるものではありませんでした。
何日かかけて自然や街並み、温泉などを楽しみながらゆっくり堪能するのがいいようです。
観れなかったエリアにはまた行こうと思います。

作品のみならず、その地域の景観や、建物、古い家屋、雰囲気、新鮮な空気、そこにしかないさまざまなあれこれが面白かったです。
田舎のアート展ならではのスペシャルな体験だと思います。
都会暮らしの人には特におススメできると思います。

今度は四万温泉積善館の温泉も堪能したい…!!

2011年8月27日土曜日

夏の記録④ 利根RIVER JAM編

19日はフリードミューンゼロ@川崎東扇島東公園に行くはずでしたが、 
警報が出るほどの大雨の為イベント自体が中止になってしまって、その夜急遽開催されたフリーパーティーにも行けずくすぶっていましたが、 
その心は20、21日に千葉の我孫子市の利根川ゆうゆう公園で開催された利根RIVER JAMで解放されたのでした。 

曇天に雨天と生憎の天候でしたが、無料だと言うのに昨年よりも規模が拡大されていて、良質なフェスでした。 
音はDEEPCOVERがめちゃめちゃカッコよかった。(←メタモにも出るので行く人は要チェック) 
ライブ全体としてはGOCOOがとにかく感動しました。震えました。 




1日目~2日目にかけての夜は柏のスパリゾート「みのりの湯」に宿泊し、 
その流れの中で友人が運命的な出会いに好相性で彼女が出来るというミラクルな出来事も楽しかったです。 
みのりの湯は素敵な「みのり」をもたらしたのでした。

2011年8月24日水曜日

夏の記録③札幌~大館編

ライジングサンの撤収をしたのち、まずはホテルにチェックインしてゆっくり風呂に浸かり、睡眠をとってから軽く打ち上げにすすきののオリエンタルグリルへ。 
食べ飲み放題でもう食べれません状態にがっつり食いまくったのでした。
 海老と帆立のトビッコクリームスパゲッティが美味かったです。
すすきのの街の看板は巨大でした。 

飯の後は札幌の文化発信地、PROVOの打ち上げパーティーへ。 
アブサンやらイエーガーやらを飲ませて頂きました。気持ちいいパーティー空間でした。 

翌朝の出発が早かったので、3時過ぎまで飲んでホテルへ戻り、3時間ほど寝てタクシーで札幌駅へ。 
しかし乗るはずだった電車が行ってしまい、仕方がないので特急列車でショートカットして苫小牧へ。 
苫小牧から室蘭本線で東室蘭→長万部へ。 

長万部で乗り継ぎに時間があったので近くの温泉に歩いて行って入浴。 
お湯が44度もある高温の温泉で、汗を流すために入ったのに体が温まりすぎて、湯あがり後もすぐ汗だくになってしまいました。 

長万部から函館本線で五稜郭へ。 
五稜郭から江差線で木古内へ。 
木古内からスーパー白鳥号に乗り、青函トンネルを越えて青森の蟹田へ。 
蟹田から津軽線で青森→奥羽本線で弘前へ。 
弘前で夕食をとって奥羽本線で大館へ到着。時刻は22時半頃。 
なんとか一日で大館まで到着することができました。 

大館には、ゼロダテ/大館展2011 「もうひとつの大館」を観に、(グラフィック作品で参加)やってきました。 
参加している作家の友人に連絡をとると、ちょうど少し離れた会場(矢立温泉赤湯)でやってたパフォーマンスを終えて大館へ戻るということで、合流することに。 
近くに安宿がないか尋ねると、少し離れたところにある祖父母の家に泊まっているということでご一緒させてもらうことに。 
そして6人のアーティスト達と合流し、秋田の古民家に泊まるという全く予期していなかった展開に。 
乾杯して雑談していると、スイカがあるということでスイカを切るものの、 
汁が垂れるということで外へスイカを食べに繰り出すことに。 
しかもすぐ近くに駅と線路があり、もう電車は通らない時刻だったので夜の無人駅の線路でスイカを食べるというレアなシチュエーションになったのでした。 
さらには花火も少し持っていて、何故か虫取り網と虫籠があったので、バッタやコオロギ、カナブン、蜘蛛を捕獲するという、 
「小学生の夏休み」のようなシチュエーションが、ごく自然な流れで出来上がりました。 


蚊に刺されるので家に戻ってしばし雑談したのち就寝。 
しかしここでもいかにも夏休み的な事件が起こったのでした。 

皆はお茶の間的な広い部屋で寝ていたのですが、自分はこのレアなシチュエーションでちょっと特別な情緒を感じたい+涼しさを求めて一つ隣の部屋で寝ていました。 

皆が寝静まり夜が深まる中…突然、部屋の中に「何か」が入ってきたような気がしました。 
そしてそれが部屋の中を高速で飛びまわり、自分の体に当たったような感じがしたので、びっくりして悲鳴を上げすごい勢いで飛び上がってしまいました。 
「何か」はみんなの寝ている隣の部屋へ行った気がして、すぐさま追いかけて部屋の中をキョロキョロしていると、その自分のドタバタでびっくりして起きた人がポカーンとしていました。 
「何何?どうしたの?」 
「いや…今何かが……」 
しかし部屋の中には何もいなかったようなので、 
「いや…ごめん夢かも…気のせいかもしんない…びっくりした…だだだ大丈夫…大丈夫…」 
と、完全パニクっていましたが、何故か「何か」は去ったようだと確信して再び床に就きました。 

ちょうど15日のお盆~16日にかけての深夜の出来事でした。 
あれは一体何だったのか………… 
翌日聞いたところによると僕は夢遊病と思われたようでした。 

翌日16日、出展作家達は会場の空間でインスタレーション作品を作るということで、会場の大館市の商店街へ。 
7月に3331内のZAC TOKYOで行われた(((OCOS)))の巡回展もありました。 

大館展では、商店街の使われなくなった廃ビル空間などをギャラリースペースとして使用していて、通常なかなか味わえないただならぬ雰囲気があって面白かったです。 






夜になると、送り盆の行事として大文字焼きや、精篭流しが行われていたので観てきました。 

山に現れた大の字の巨大な送り火が点火された後は、花火大会でした。 
打ち上げられる花火も空に灯す巨大な送り火と解釈してよいのでしょうか。 
作家の皆は作品作りをしていたので、一人ビールを飲みながら花火を鑑賞しました。 

その晩は作家の皆の打ち上げで飲んだ後、大館展のスタッフの方々の宿泊所のベッドに寝かせてもらいました。 
翌朝の出発が早かったのでちゃんと礼をいう間もなくタクシーに乗り込み、大館を後にしました。 

夏休みが濃縮されたような大館での一日でした。 


大館からはまた鈍行電車を夜まで乗り継ぎ、新潟の松之山(母の田舎)へ。 
翌朝墓参りをして、温泉に浸かって車で大宮へ帰りました。 

何やかんやで色々な出来事があり、思っていたよりもかなり濃厚な旅になったので、わざわざ時間を使ってこうして記憶を振り返ってみたのでした。 




2011年8月23日火曜日

夏の記録② RISING SUN ROCK FESTIVAL編

8月12日の朝、出遅れ焦って準備をして、酒と食料を買い込み、車に荷物を詰め込み、お店のクルーで会場へ向かいました。 

会場到着。 

まじんくんのセッティングにとりかかり、売り場が出来上がると同時に会場もオープンして、早速お客さんが群がってきてくれました。 
「何あれまじんくんて?」 
つかみはオッケーなようでした。
 






出店していたエリアは南米をテーマにDIYされたカラフルなエリアで、 
どのお店もポップでイイ感じでした。 

まじんくんも馴染んでいたように思います。 
フェスで多くの人に見てもらえて、珍しがられて、かわいい、かっこいい、やばいと言ってもらえて、多数のご主人様の元へ旅立ってくれて良かったです。 
意外とかわいい系よりもダークサイド系、レアキャラ系の方が早くいなくなりました。 
一体一体手作りでみんな違うので、選ぶのに30分ぐらいかけて真剣に悩みながら選んでくれるお客さんもいました。 
愛着を持って長い事可愛がってもらいたいものです。 

オープンからお客さんがなかなか絶えず、結構忙しかったかと思います。 
夕方くらいまでお店を離れられませんでしたが、友人がライジングの舞台に立つ姿を見ようとステージへ繰り出しました。 




LUVRAW&BTBの司会として出演していたヒューヒューボーイ 
メロウなステージの合間に笑いを巻き起こしていました。 


真夏の暑い会場は夕暮れが近づくにつれだんだんと涼しくなっていき、 
夜になると全く違った雰囲気に変化していきました。 





夜に合わせて我らがあんずやも夜モードに変身。 
色々と光っているお店になりました。 


もちろんまじんくんもブラックライトで発光。 
発光バージョンでも多くの人の目を引き、魅入ってもらえたようでした。 




夜は会場内もビッカビカに光ってたり幻想的なムードに包まれていたりして良い感じでした。 





このへんまではギリギリにしろ色々順調に進んでいたと思うのですが、 
この後お店を閉めた後、私は天国から地獄への旅へ出ることになったのでした。 


テキーラを2杯飲んだ後の記憶がありません…。 


後から写真を見てみると、どうやら知らない人たちと大いに楽しんでいたようでした。 


何故か信長と呼ばれていたという記憶だけが頭の片隅に残っていました…。 
何故だったのだろう…。 


この後、どうやら朝まで飲みあかし、暴挙に躍り出た後、 
お店の裏のテントで寝ていると昼が来て、テント内の温度湿度が急上昇し、 
暑過ぎて目覚めると頭と体が尋常じゃない状態になっていて、熱中症になっていました。 


体も思うように動かせず、最初助けを求めて叫んでいましたが、 
近くに誰もいなかったので、なんとかテントを這い出てフラフラで人のいるところに出てぶっ倒れ、 


「み…水………水を……!」 
とギリギリの状態で助けを求め、発見されたのでした。 


日陰に滑り込み、水をもらうものの容体はさらに悪化し、手が痺れ頭が痺れ本当にヤバイと思ったので救護室へ担架で運んでもらいました。 
ろれつも回らなくなり、シャレにならん状態に急変したので、死ぬかと思って本当に怖かったです…。 
周りの皆さんに本気で助けてもらい、声をかけてもらい、手を握ってもらい…、本当に助けられました。 


救護室で全身を氷で冷やしたりポカリを飲みまくったりなどの処置をしてもらって、容体はある程度早く落ち着き、幸い病院に搬送されるまでには至りませんでした。 


こうして2日目はほとんど救護室で寝て過ごし、周りに迷惑と心配をかける羽目になったのでした…。店に戻ってからもなかなか本調子に回復せず、深夜まで寝て休んでいました。 
休んでいる間、他のみんなに頑張ってもらい、自分がいない間もまじんくんを売ってくれていました。本当に感謝です…。 


復活後。 


まもなく夜明けが訪れました。 


朝が来て、2日間描き続けていたtAtのライブペインティングの絵も完成。まじんくんも描いてもらいました。 
Peinter : tAt 


あんずやクルーで集合写真 



この後、寝てないみんなにとっては過酷な片づけ、解体、撤収作業。 
みな昇天寸前で最後の気力を振り絞っていました。 


昇天する人。 



皆さん本っ当にお疲れ様でした。本当に感謝、感謝でした。 
ぶっ倒れて死ぬかと思っても、楽しかったのです。 




夏の記録③札幌~大館編へ続く。